韓統連の歴史

6.奪われた民主主義をこの手に-積弊清算とキャンドル革命

再び保守勢力が執権した韓国では08年以降、独裁政治が横行し、金剛山観光や開城工団が中断するなど、今まで築き上げてきた民主化と南北の和解・協力が大きく後退しました。

韓統連は09年、ソウルで開催される4月革命49周年記念式典に代表団を派遣しましたが、これに対し李明博政権は、代表団入国の際に孫亨根議長に不当な押収捜査を行い、代表団にも手荷物検査を強要しました。この弾圧事件以降、韓統連会員への旅券発給拒否が相次ぎ、韓統連会員の自由往来が遮断されたばかりか、6・15民族共同委員会による共同行事も不許可とし、統一運動に不当な弾圧を加えました。

このような政治弾圧に対し、韓統連は李政権を批判し旅券発給を求める記者会見を相次いで開きました。記者会見では、韓統連会員が旅券申請をした際、領事が不当な面談を要求し、発給の条件として「韓統連の脱退」を約束する誓約書を強要していることを明らかにしました。以降も、李明博政権の実態を明らかにするため、日本の市民団体とともに韓国から講師を招請して日本各地で講演会を開催。李政権の実情を記したパンフレットを製作し、幅広く広報しました。

一方、韓統連会員や関係者の自由往来を制限している「反国家団体」規定に関して、「真実・和解のための過去事整理委員会」が09年11月、「在日留学生 金整司スパイ事件」を韓国当局によるでっち上げと判断し、その決定通知書の中で「韓統連の反国家団体規定を是正すべき」と勧告しています。

また韓統連は、「韓日併合100年」「解放70年」を契機とした過去清算や東アジアの平和を求める運動、在日同胞の国政参与など権益問題についても取り組みました。

日本による朝鮮半島の植民地支配から100年の節目となる10年には、日韓民衆連帯全国ネットワーク(日韓ネット)などと連帯し、「『韓国併合』100年 真の和解・平和・友好を求める2010年運動」をスタート。日本各地で署名運動を展開し、8月には都内で開かれた「日韓市民共同宣言大会」に積極的に参与しました。同大会には1000人以上が参加し、同様の大会がソウルでも盛大に開催されました。朝鮮学校が高校無償化から除外された際には、日韓ネットなどとともに文科省に適用を求める要請行動を行い、11年の3月11日に起こった東日本大震災では、甚大な被害を受けた東北地域の在日同胞と朝鮮学校に義援金を伝達し、現地で炊き出しを行うなど、被災地の復興支援にも取り組みました。

そして、12年の韓国総選挙から在日同胞にも国政参政権が付与されたことを受け、在日同胞に投票を呼びかける「ウリ選挙在日参与センター」に協力し、東京、神奈川、大阪など日本各地の同胞集住地域でアンケート調査や選挙広報活動を精力的に展開しました。

12年に発足した朴槿恵政権は、当初から国家情報院による選挙介入が問題になり、民衆から厳しい追及を受けました。これに対し朴政権は、進歩政党の統合進歩党議員による内乱陰謀事件をねつ造し、同党を解散させるという暴挙を働くなど、「従北バッシング」を悪用した政治弾圧を加えました。対北敵視政策も激しさを増すなど、保守政権による弾圧政策は深刻の度を深めました。

こうした危機的状況に直面した韓統連は、急速に後退する民主化の回復と米国の対北敵視政策の転換を求める運動に邁進しました。朴政権の執権期間中、14種類の広報ビラを製作し、東京から広島まで日本各地で大々的に宣伝活動を展開した他、韓国大使館前での抗議行動、SNSを通じた世論喚起など、朴政権の不正と弾圧政策の実態を知らしめました。

また、2月から数カ月にわたり強行される世界最大級の韓米合同軍事演習「キー・リゾルブ」「フォール・イーグル」に反対し、毎年、日韓ネットなど日本の市民団体とともに米国大使館と韓国大使館に軍事演習中止の抗議行動を行い、「朝米対話の即時開始」「朝米の平和協定締結」を粘り強く訴えました。

14年には「戦後70年-新しい東アジアへの一歩へ!市民連帯」(東アジア市民連帯)の結成に主体的に参与。衆議院会館での院内集会や韓国、米国、中国、ロシアから著名な学者や平和運動家を招請し、国際シンポジウム(15年8月、17年6月)を盛大に開催しました。

朴大統領の国政私物化・乱用が16年の秋に、ついに明らかになり、国内で燎原の炎ごとく燃え広がったキャンドル集会に連帯し、東京や大阪でのキャンドルデモ、広報活動、韓国大使館前抗議行動を矢継ぎ早に展開。幅広い在日同胞が運動に加わり、誰もがキャンドルを手に「朴槿恵退陣」「積弊(山積みの不正)清算」を叫びました。日本社会の関心も高く、テレビや新聞など大手メディアが連日のようにキャンドル行動を報道しました。内外の同胞と連帯したキャンドル革命は、17年3月に朴槿恵政権を打倒し、政権交代-文在寅政権誕生へと結実しました。