韓統連の歴史

4.祖国の平和と統一のための汎民族大会-韓統連への改編と南北海外3者連帯統一運動

6月民主抗争を通じた国内民族民主勢力の飛躍的な成長と、統一運動の機運がこれまでになく高まったことを受け、韓民統は89年、情勢の要請に応えるべく、結成以降16年間の活動と業績について誇りをもって総括し「在日韓国民主統一連合(韓統連)」へと発展的に改編しました。組織改編を通じ、在日民族民主勢力としての位相を明確にし、「自主・民主・統一の実現」などを含む6大綱領を発表しました。

また、この年は文益煥牧師、林秀卿学生らの電撃的な訪北により、内外の統一世論は大きく喚起されました。そして韓国の全国民族民主運動連合(全民連)が「朝鮮半島の平和と統一のための汎民族大会(汎民族大会)」の開催を北と海外同胞に提案しました。

韓統連はこれに積極的に応えました。大会開催のための南北直接交渉が不可能な中、韓統連は粘り強い交渉と闘いの末、代表団のソウル派遣を勝ち取り、南側人士と協議。続いて、ドイツ・ベルリンにも代表団を派遣して北側人士と協議するなど、南北の架け橋を担い、汎民族大会(90年8月15日、板門店)を成功させ、祖国統一汎民族連合(汎民連)の結成において主導的役割を果たしました。汎民族大会は90年代を通じ毎年開催され、内外の統一機運を大きく喚起しました。

高まる統一世論を背景に、南北当局者会談も進み、91年末には「南北の和解と不可侵および交流協力に関する合意書」「朝鮮半島の非核化に関する共同宣言」が発表されました。

94年からは在日同胞や日本社会で統一世論を盛り上げるため、東京、大阪、兵庫など各地で、民族楽器やマダン劇などの文化公演、韓国ゲストのコンサート、多彩な出店や展示物などを通じ、平和と統一をアピールする「統一マダン」を開催しています。

さらに、95年以降の集中豪雨により、甚大な農作物被害を受けた北の同胞を支援するため、「北の同胞に食料を送る運動在日韓国人推進委員会」を結成し、「1週間1食カンパ運動」や戸別訪問、「支援コンサート」など精力的に支援運動に取り組み、日本社会の救援世論を呼び起こしました。最終的に、1,140トンの穀物を北の同胞に支援しました。

また96年には、金泳三政権が8・15統一大会に参加した韓国大学生総学生会連合(韓総連)の学生、約6000人を連行する殺人的な大弾圧を強行したことに対し、「韓総連弾圧糾弾!海外韓国人大会」を東京で開き、金政権の弾圧政策を糾弾しました。99年からは、韓国民衆と連帯し、国家保安法の撤廃を求める署名運動を大々的に展開。約5万筆の署名を大統領府に送りました。