韓統連の歴史

5.南北の和解・協力時代へ-6・15共同宣言実践・自由往来運動

2000年6月15日、歴史的な南北首脳会談を通じ、ついに「6・15南北共同宣言」が発表されました。

6・15共同宣言以降、共同行事として統一大会が毎年開催される中、韓統連は05年、金剛山での「6・15共同宣言実践のための南北海外共同行事準備委員会」(現、6・15民族共同委員会)結成に尽力しました。6・15民族共同委員会の結成により、統一大会ごとに実行委員会を構成する課題が解消され、南北海外同胞をつなぐ常設機構の誕生を通じ、民間次元の統一運動は飛躍的に発展し、南北の和解・協力時代を切り開く上で、決定的な役割を果たしました。

韓統連は6・15民族共同委員会で中心的役割を担い、05年6月15日にピョンヤンで、同年8月15日にソウルで開催された民族共同行事をはじめ毎年開かれた統一大会の成功に貢献するとともに、日本でも海外統一運動人士が一堂に会する海外同胞大会(09年10月)の開催に寄与するなど、6・15共同宣言を実践する活動をけん引しました。全民族的に繰り広げられた統一運動によって、07年には2度目の南北首脳会談が開催され、10・4宣言が発表されました。

「反国家団体」規定という不当な政治弾圧からの名誉回復においても、大きな前進を勝ち取りました。00年12月にはソウルで「在日韓国民主統一連合の名誉回復と帰国保障のための対策委員会」(韓統連対策委)が、01年4月には日本でも同対策委員会が結成されました。韓日の国会議員、大学教授、弁護士をはじめ、著名な民主人士が名を連ねた韓統連対策委は大々的なキャンペーンを展開し、03年2月に韓国のMBCでドキュメンタリー「韓民統の真実」が放映されると、内外で大きな反響を呼び起こしました。

そして03年9月、「海外民主人士の秋夕故国訪問・韓統連故国訪問団」として、韓民統結成以来30年ぶりに無条件帰国を実現。04年10月には「韓統連故国訪問団」を構成、正式旅券で堂々と帰国し、自由往来を実現しました。訪問期間には、1973年の拉致事件以来となる金大中元大統領との面談では、韓統連の活動が高く評価されました。

一方、米軍による朝鮮戦争時の戦争犯罪を明らかにするため、2001年6月にニューヨークで行われた「コリア戦犯法廷」に代表団を派遣し、02年6月に韓国の女子中学生が駐韓米軍の装甲車にひき殺される事件が起こった際には、韓国民衆と連帯して日本で対策委員会を組織し、真相究明と責任者処罰を求め日本各地で宣伝活動を展開するとともに、ビデオ「オモニ、米軍基地のない社会で暮らしたい」を製作し幅広く広報しました。このような活動を通じ、ブッシュ大統領の公式謝罪を勝ち取り、韓米間の不平等な関係を浮き彫りにしました。また、00年代初頭から日本で「歴史歪曲教科書」が検定合格したことを受け、日本の市民団体とともに文科省への抗議行動、各自治体に不採択を求める運動も精力的に展開しました。