韓統連の歴史

2.韓民統結成、朴正煕維新独裁に抗して-金大中氏救出運動と反独裁民主化運動

72年10月に韓国で維新クーデターが起こり、朴正煕政権の独裁体制が強化される中、民団民主化勢力は、日本に滞在し朴政権に抗議の声をあげていた金大中氏とともに、朴正熙維新独裁政権に反対する海外同胞組織の結成に合意しました。

しかし、反朴正熙世論の高まり恐れたKCIAは、結成目前の73年8月8日に都内で、金大中氏を白昼堂々、ら致しました。民団民主化勢力は金大中氏の生命の危機を直感し、すぐさま救出運動を展開するとともに、金大中氏との合意どおり、13日に「韓国民主回復統一促進国民会議日本本部(韓民統)」を結成。15日には都内で宣布大会を大々的に開催しました。

韓民統の発足によって、在日同胞は民団内の極限的、分散的な運動を止揚し、明確な目的意識をもった民主愛国勢力として反独裁民主化運動を展開するようになりました。これは、在日同胞運動の画期的な転換であり、発展でした。

また歴史的にみれば、朴正熙維新体制に正面から反対し、反維新民主化運動の開始を内外に宣言した最初の組織でもありました。

韓民統結成は、韓国民衆の反独裁民主化闘争に新しい章を切り開いた、意義あるものといえるでしょう。

韓民統の反独裁民主化運動は、金大中氏救出運動から始まりました。集会とデモ、日本政府への申し入れ、日本の市民団体の救出集会など、考えうるすべての方法を駆使して展開し、金大中氏の命を救いました。

韓民統の運動は国内世論を触発し、ソウル大生の反維新独裁運動を呼び起こすなど、韓国内の民主化運動を高揚させました。韓民統はこうした闘いを支持し、日本でも「100万人署名運動」を繰り広げるなど、反朴正熙の世論を喚起しました。

さらに、100人を超える在日同胞政治犯救援運動や、「人民革命党事件」に代表される国内民主人士の釈放運動に、「在日韓国人『政治犯』を支援する会全国会議(現、韓国良心囚を支援する会全国会議)」と協力して取り組みました。在日同胞政治犯においては、1人の死刑執行も許すことなく全員の釈放を勝ち取りました。

また、労働者の権利保障を求めて焼身自殺した全泰一氏の生涯と、彼のオモニ・李小仙氏の闘争を記録した評伝「炎よ、わたしをつつめ」を日本で出版するとともに、映画「オモニ」を製作して各地で上映運動を進め、韓日労働者連帯の新地平を切り開きました。

こうした韓民統の運動は海外同胞を鼓舞しました。77年8月には海外同胞民主人士を東京に招請。海外同胞運動では初の「海外韓国人民主運動代表者会議」を開催し、「民主民族統一海外韓国人連合(韓民連)」を結成しました。韓民連の結成により海外同胞の統一的な運動が実現し、後の南北海外3者連帯統一運動に向けた確固たる基盤を築きました。

こうした韓民統の闘いを恐れた朴政権は78年、在日韓国人留学生のスパイ事件(金整司事件)をねつ造し、その公判過程で韓民統を「反国家団体」に規定する蛮行を働きました。不当な「反国家団体」のくびきは現在まで続いています。