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資料

韓統連に対する工作事件とパスポートを利用した弾圧問題

金昌五(キム・チャンオ)

1民団中央団長選挙に干渉した録音テープ事件(1971年)

1961年5月、軍事クーデターで朴正煕軍事独裁政権が登場すると、朴政権は大韓民国民団(民団)に対する不当な干渉を始めました。こうして民団の自主性を守るために民団民主化闘争が始まったのです。

「民団正常化有志懇談会」をはじめとする民団民主化勢力は、1960年代在日同胞の法的地位や民族教育を保護するために果敢に闘争しました。

その結果、民団内の広範な支持を集め、1971年3月民団中央団長選挙では、民団民主化勢力が支持するユ・ソクチュン候補(韓統連兵庫本部 崔孝行代表委員の舅)の当選が確実視されました。

これに対して駐日韓国大使館の金在権公使が選挙直前に「某候補を団長に推薦した人の中に反国家的発言をした人物がおり、その発言を録音したテープがある」とした「録音テープ事件」を起こして露骨な選挙干渉をしました。そんな中、暴力輩が配置された恐怖的な雰囲気の中で行われた民団中央団長選挙では、朴正煕独裁政権の意志に従うイ・ヒウォン候補が再選されました。金在権公使が選挙後に公表するとした録音テープはどこからも出てきませんでした。

そのほかにも民団民主化勢力の拠点である民団東京本部と民団神奈川本部事務所の襲撃事件など、数え切れないほど民団民主化勢力に対する弾圧が続けられました。

2民団民主化勢力を民団から追放した事件(1972年)

そして1972年に7・4南北共同声明が発表されると、民団民主化勢力は「民族統一協議会」を結成し、朝鮮総連(総連)と7・4共同声明を支持する共同行事を日本各地で開催し、先駆的に統一運動を展開しました。このような動きに危機感を深めた民団中央は、民団民主化勢力に対して除名・停権処分を乱発しました。そして在日韓国青年同盟(韓青)に対しては傘下団体取消処分を強行しました。民団民主化勢力は、すべて民団組織から追放されました。こうして民団民主化勢力と朴正煕独裁政権支持勢力の対立は決定的になりました。

3韓民統結成を阻止するための金大中拉致事件(1973年)

1972年10月、韓国で維新クーデターが起き朴正熙政権の独裁体制が強化される中、民団民主化勢力は日本に滞在し、朴政権に対する抗議の声を上げていた金大中氏と共に朴正煕維新独裁政権に反対する海外同胞組織、韓国民主回復統一促進国民会議(韓民統)結成に合意しました。

これに対して朴正煕独裁政権は、韓民統結成を阻止するために韓民統結成を目前にした1973年8月8日、白昼に東京で金大中氏を拉致しました。韓民統結成を準備していた民団民主化勢力は直ちに「金大中先生救出委員会」を発足させました。当時、事件現場には朝鮮産のタバコが残っていたとして朝鮮の犯行という説が流布されましたが、救出委員会は直ちにKCIAの犯行と断定し、金大中氏が生命の危機に瀕していると呼びかけ、すべての力を動員して救出運動を展開しました。そして金大中氏の生死も不明な状況でしたが、金大中拉致事件は韓民統結成を阻止するための朴正煕独裁政権の策動とみなし、予定通り8月13日に韓民統を結成し、金大中氏を議長に選出しました。韓民統が結成された直後のその夜、金大中氏はソウル自宅の近くで傷ついた姿で発見されました。世に多く知られている金大中拉致事件は、韓民統結成を阻止するための事件だったのです。

事件現場で駐日韓国大使館キム・ドンウン1等書記官の指紋が発見されました。その当時、駐日韓国大使館の情報関係担当公社は金在権公使であり、その指揮下にあった者がまさにキム・ドンウン書記官でした。その後、日本では金大中拉致事件の真相究明を要求し、朴正煕独裁政権を糾弾する世論が高まっていきました。

4朴正煕大統領狙撃未遂事件(陸英修大統領婦人殺害事件)(1974年)

韓民統出帆で在日同胞は民主愛国勢力として反独裁民主化運動を全面的に展開するようになりました。これは在日同胞運動の画期的な転換であり、発展でした。また歴史的に見れば、韓民統は反維新独裁との闘い開始を内外に宣言した最初の組織でもありました。韓民統の運動は国内世論を促し、1973年10月16日にソウル大生の反維新独裁デモ(1972年10月、維新憲法宣言後、韓国で初の反維新独裁デモ)を呼び起こすなど韓国内の民主化運動を高揚させました。

日本では、韓民統と韓民統に連帯する広範な日本市民が朴正煕独裁政権を糾弾し、韓国民主化を要求する運動を展開しました。維新クーデターで韓国国内運動は進んだが、日本列島全体が反独裁民主化闘争の基地となったのです。

このような局面を転換させようと朴正煕政権によって操作された事件が、まさに1974年8月15日の朴正煕大統領狙撃未遂事件、いわゆる陸英修大統領婦人殺害事件です。犯人とされた人物は韓民統傘下団体の韓青(在日韓国青年同盟)活動家文世光(ムン・セグァン)氏であり、犯行に使われた拳銃は日本の派出所から奪われたものでした。この事件をきっかけに朴政権は韓国国内で高揚する反日運動を背景に日本政府に攻勢を加え、日本内の朴正煕独裁政権に反対する運動に対する監視と抑圧を強化させました。

5韓民連結成を阻止するための池之端事件(1977年)

このような韓民統の運動は世界各地の海外同胞を促し、米国ヨーロッパなど世界各地で朴独裁政権に反対する運動が活発に展開されました。このような海外運動を一つに集めるために、1977年8月に東京で「海外韓国人民主化運動代表者会議」を開催し、「民主民族統一海外韓国人連合(韓民連)」を結成しました。この韓民連結成を阻止するために民団は暴力輩を全国で動員して大会会場である池之端文化センターを襲撃しました。事前にその情報を入手して日本警察に警備要請をしましたが、日本警察は出動せず、警備を担当した多くの韓青活動家が傷つきました。私自身がその当時大学生として大会警備を担当し、暴行を受けましたが、もうここで死ぬかもしれない、と感じたのはその時が最初で最後でした。

6韓民統を反国家団体として規定した金整司事件(1978年)

このような韓民統の闘争を恐れた朴政権は1978年、在日韓国人留学生の金整史事件を捏造し、その公判過程で韓民統を何の根拠も提示せず、一方的に「反国家団体」と規定する蛮行を犯しました。

1973年、韓民統結成直後から韓統連幹部に対してパスポートの発行を拒否する弾圧が続いてきましたが、この金整司事件の最高裁判決を踏まえ、その後韓統連会員に対するパスポートの発行は全面的に拒否されました。

韓統連を反国家団体として規定したこの金整司事件は、2010年の真実和解委員会で捜査機関の強圧的な捜査で操作されたものであると明らかにし、金整司氏には無罪判決が出されました。

1980年の光州大虐殺後、金整司事件の最高裁判決を踏まえ、反国家団体である韓民統の首魁として死刑判決を受けた金大中大統領も、2004年に再審し無罪判決を受けました。

しかし、韓統連に対する不当な「反国家団体」の烙印は現在まで続いています。

7パスポートを利用した弾圧問題

在日同胞社会と韓統連組織に対する理解を助けるために、ここで私自身の紹介をします。私は1955年、大阪で生まれました。父は3歳の時、母は5歳の時に日本に渡って来たので、私は3世に近い在日同胞2世になります。

ほとんどの在日同胞がそうであるように、私たちの家族は日本の名前で生きてきました。私は小学校から高校まで日本の学校に通いました。中学校時代、地下鉄駅のトイレに「朝鮮人は帰れ」という落書きを見て、とても怖かったです。行ったこともなく、言葉も知らず知る人も一人もいないに、日本を追放されて韓国に行けば生きていけるのか?漠然とした恐怖感を感じました。様々な経験を通じ、民族差別がひどい日本社会では、韓国人というのは隠れて生きなければならないと考えるようになりました。

ところで大学1年生の時、韓統連の傘下団体である韓青(在日下国青年同盟)を知ることになりました。韓青で初めて祖国の言葉と歴史を学び始めたのです。特に4月革命に深い感動を受け、祖国の民主化と統一のために一生生きていこうと決心しました。一生懸命勉強すればするほど、祖国への愛は深まりました。中学校時代には、恐怖の対象だった祖国が愛の対象に変わったのです。しかし、一生懸命活動すればするほど、祖国は離れていきました。愛する祖国に行きたくても朴正煕独裁政権がパスポートの発行を拒否したからです。

朴正煕政権、全斗煥政権、盧泰愚政権と長い闘争が続いて金泳三政権、金大中政権を経て盧武鉉政権が出帆した2003年9月19日、海外民主人事招請委員会に招待を受け、いよいよ夢見た祖国に初めて来られるようになりました。仁川空港から歓迎に出た国内同胞に会った瞬間涙を禁じられませんでした。泣き続けました。60年以上の私の人生において、2003年9月19日は人生最大の記念日です。その時、多くの困難を復讐し、私たちの韓統連の名誉回復と帰国保障を実現してくださった方が、チェ・ビョンモ先生であり、林鍾仁弁護士です。

しかし20088年、李明博政権が登場すると再びパスポートを利用した弾圧が始まりました。

2003年に名誉回復が成立したにもかかわらず再び弾圧を受けることになったのは、韓統連に対する反国家団体規定が残っているからです。韓統連の完全な名誉回復のためには必ず反国家団体規定が撤回されなければなりません。

8 結び

 韓統連は1973年、その前身である韓民統結成以来、金大中救出運動を皮切りに独裁政権に反対し、民主化と統一を要求し数多くの闘争を展開してきました。そして1989年に韓統連として組織を改編した後も、引き続き祖国の民主化と統一のために闘ってきました。韓民統結成から50年間の韓統連の歴史は、まさに民主化と統一を実現するための日々でした。

韓統連に対する反国家団体という不当な規定が一日早く撤回され、在日同胞の愛国運動が正しく評価されることを心から願っています。

そして国家保安法を根拠とする民主化統一運動に対する弾圧の歴史を終え、愛する祖国である大韓民国の民主主義が発展することを心から願っています。