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在日朝鮮人、どうして彼らを愛さずにいられようか?

自主時報2021/12/07 イ・ヘジン(ノレペ「ウリナラ」歌手)

映画を劇場で3回見ました。

 何度見てもいつのまにか没入するようになる、また自然と涙が流れるようになる映画。こんな映画が他にあるのでしょうか?在日同胞を扱った多くの映画がありますが、こんなに深い余韻を与える映画は初めてです。淡々と笑って話す主人公たちを通して、本当の幸せとはなんなのか、本当の希望とはなんなのか考えるようになる映画、「私はチョソンサラムです」。ぜひ劇場でご覧ください。

 在特会が発する差別と嫌悪の言葉が無防備に露出され、映画は始まります。生まれてから一度も聞いたこともなかったような、あらゆる侮辱的な言葉の暴力の前になすすべもなく、怒りで顔が膨れ上がります。このような暴力的な現場を映像で生々しく見守っていると、長い長い年月、私たちの同胞たちがどんな扱いを受けて日本で生きてきたのかと、胸が締め付けられます。いまだ植民地日本から解放されていない同胞たち。映画は始まりから私たちを在日朝鮮人の社会の中に力強く引っ張ります。

在日朝鮮人

 映画に登場する主人公たちは、一様に一つの時代を全身で生きてきた歴史の主人公たちです。朝鮮総督府で勤務した特殊な経歴にもかかわらず、独立運動に飛び込み刑務所に閉じ込められる経験までしたソ・ウォンス先生。学問に秀でた娘をピョンヤンの金日成総合大学に先に送り、日本で背負った借金を返済すれば、すぐに追いかけるはずだったが、やむをえない事情により日本に留まったというブ・マンス先生。二人とも解放後、母国語を教える学校を建て、守り、育てるのに大きな役割を果たした同胞一世の方々です。その方々の努力は、その後数多くの同胞を朝鮮人として育てる役割を果たします。幼いリュンセを常に抱えて通う姿で出てくる、京都第3初級学校の校長であるカン・スヒャン先生も、子供たちを堂々としたチョソンサラムとして育てるために、定年を越えても自分の使命を尽くします。

私を探して

 淡々と在日朝鮮人の歴史を聞かせてくれる映画は、第2章の「私を求めて」で観客を衝撃に陥れます。柔らかな印象の主人公たちが、一様に「スパイ」という恐ろしい罪目で連行され、あらゆる拷問に遭ったというシーンは、何度も見ても慣れません。そして主人公たちの証言は、観客の涙を誘います。

 「大韓民国は反共を国視とする国家だ。したがって、被告カン・ジョンホンのような朝鮮のスパイは生存を許すことができない」「日本社会の差別が嫌いで生きてみようと訪ねてきた祖国なのに、生存を許すことができないという言葉を聞いて、本当に悲しかった」と笑みを浮かべながら話させるカン・ジョンホン先生の言葉には、耐えきれず多くの涙を流しました。24歳という青春の年齢で監獄に閉じ込められ、死刑囚として六年、無期囚として7年を過ごし、37歳になってやっと世に出るようになった先生の人生。その遥かなる歳月の前に、何を言うことができるでしょうか。ただ流れる涙を拭うしかありませんでした。

二つの祖国

 第3章で最も印象的な方は、なんといっても金昌五先生です。パンダを見るために上野公園に行こうというお兄さんの勧誘で、初めて在日同胞たちの集会に参加した青年金昌五は、その日に祖国の未来を論じる在日同胞青年たちの姿に魅了され、韓青活動を始めるようになります。南の民主化闘争の歴史を学び、祖国をとても愛するようになったという先生。それで、夢の中でも南の土地を行きたくて、もどかしい思いをしたという先生は、行けない南の地を思い、こう言われます。

「祖国を愛すれば愛するほど祖国が遠くなる」

 先生はピョンヤンで開かれた1990年の汎民族大会に参加することになり、心の中に描いた南の地だけが祖国ではなく、北の地も祖国ということに気づくようになります。北の地に初めて足を踏み入れた日に、飛行機の中から声を出して泣いたという先生を見ると、観客たちも自然に涙を流します。

 唯一、同胞たちにだけ加えられる過酷な選択、いつも南なのか北なのか、両者の中から一つを選べというような暗黙的な強要の前に同胞は一途でした。

 「両方です。どちらも。南と北、朝鮮半島全体が私の祖国です」

 「私はチョソンサラムです」

 その言葉が南も北でもない、一つになった祖国が私の志向であるという同胞たちの宣言のようです。

チョソンサラムとして生きるため

 第4章ではチョソンサラムとして生きるために今日も闘っている同胞を描きます。おそらく日本でチョソンサラムとして暮らすということは、人生のすべての瞬間が闘争になるということを意味するかもしれません。しかし、代を継いで闘っている朝鮮学校の学生たちの姿は、全くくたびれて見えません。むしろ活気があり、学生たちの顔から朝鮮民族の気概と誇りがあふれています。不思議なことに、日本の地で闘争を続けている先生の顔にも笑顔がいっぱいです。やりたい運動をして、一緒にいる同志たちがいるから幸せだと言うキム・チャンオ先生、死刑を言い渡されて13年間悔しい獄中生活を続けてきたが、その時代を学ぶことができ、貴重な経験だったと言うカン・ジョンホン先生。私の人生を平凡な他人の人生と変えたくないという言葉は、時代的な使命の中で真の人生のやりがいを見つけた人だけができる高い境地を感じさせられました。

 

 映画は在特会の暴力から始まりましたが、闘う人たちの笑顔を経て、平昌五輪での南北の一つになった応援で幕を閉じます。

 時代錯誤的な者たちの差別と嫌悪、そして時代の中で自分の使命を見つけた者たちの高い自覚と生きがい。映画の終わりには、このような違いが特に鮮明になります。必ず笑って闘って、南北が一つになる明日を作る人、怒りながらも憎むことない人生を送る人。

 「私はチョソンサラムです。」この叫びは、おそらくあの植民地時期、日帝に立ち向かった私たちの先烈たちの闘争から来たのかもしれません。その時から今まで、外勢に立ち向かい民族性を守り、その中で人生のやりがいと幸福を見つけた尊い人々の人生があるから、私たち民族の前に輝く統一の明日が開かれているのですから。

 そして同胞は、その淡々とした笑顔で言います。私たちは分断の最大の被害者ですが、統一の最大の恵みを受ける人々です。

 「祖国の土地は70年前に解放されたが、唯一、植民地宗主国の日本の地に住む在日同胞は解放されなかった。祖国が統一してこそ在日同胞も解放される」という金昌五先生の言葉のように在日同胞は統一を最も切迫した問題として受け止め、最も熾烈に闘っている人たちです。

 「祖国」の土地に生まれ、「分断」を実感できずに生きている南の私たちに、「統一」がどれほど価値があるのかを教えてくれる人々、一生を捧げて統一のために生きていくことが、どれほど大きな幸せかを教えてくれる人々、怒りながらも憎むことのない境地を70年間の生活と闘争によって見せている人々、在日朝鮮人。彼らをどうして愛さずにいられるでしょうか?

 12月9日公開する映画「私はチョソンサラムです」を通じて、愛するしかない人々、在日朝鮮人たちにぜひ会ってみてください。