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参加記

【長生炭鉱追悼集会 参加記】84年目の長生炭鉱小旅行記

韓統連大阪本部 代表委員 金昌範(キム・チャンボム)

ボランティアスタッフに応募したわたしは、慰霊祭前日の2月6日午後、ピーヤ近くの海岸に到着した。2月3日から進められて来た遺骨発掘・収集作業は、この日3名のダイバーによって朝から作業が行われていた。そして作業開始から約5時間後、頭蓋骨一体と歯の部分数個が発見され陸に揚げられた。報道メディアは現金なものだ。こういう時には一斉に群がってくる。急遽スタッフ数名で人間バリケードをつくる中、韓国から来た遺族たちが遺骨と対面した。白い手袋をした一人一人の遺族たちは、誰のものとも判明していない真っ黒な頭蓋骨を擦り、語り掛け、涙を流す。84年間の恨を晴らすためには、日本政府の誠意ある行動が必須だと改めて感じた場面であった。

翌7日10時半からの慰霊祭には、時折冷たい雨が降る中、約1000名が参加した。慰霊碑のある追悼広場には、主催者「長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会」、韓国の遺族会、同与野党国会議員、広島総領事、報道陣他が出席。D社会民主党副党首のラサール石参議院議員は選挙活動最終日にもかかわらず参席し挨拶された。全国各地から集まった同胞や市民たちは、道路を隔てた特設広場で追悼式を見守った。蓋を開けてみると、韓国政府と日本政府の態度の違いがくっきり表れた。韓国政府からは厚労省保健福祉部など、犠牲者の身元確認や支援などに関わる政府関係者が参席した一方で、日本政府からは、出席、追悼文はおろか「花一輪すら送られて来なかった」(司会からの言葉)。

追悼式の途中から主催者の動きが一部慌しくなり始める。のち、ダイバーの体調異変の報が届き、救急搬送に至る。参加者皆がダイバーの安否を心配しながら、午後の市民交流会会場に集まる。小雨の中、劇団タルオルムは創作劇の準備に余念がない。午後2時に事務局長から、台湾出身のダイバー、ビクター・ウェイ・スー氏の死亡が報告される。沈痛と悲しみがすべてを覆い、以後のすべての行事・活動予定は中止となった。

翌朝10時からの記者会見。ダイバーの伊佐治氏から、ビクター氏死亡に至った経緯について、可能な限り詳細に報告された。ビクター氏が、研究熱心で熟練したダイバーで準備にも入念であったこと、今回の事故の唯一考えられる原因の高酸素状態からの体調異変は、ダイバーたちが常にその可能性を念頭に置いていることなどが報告され、「もしこの事故を誰かのせいにするなら、それはビクター氏の尊厳を傷つけること。自分はビクター氏の尊厳を守りたいし、これからも求めがあれば作業に参加する」と語った。

その後、刻む会の人たちは、ビクター氏の家族を迎え入れ、支え労わり、償うことに専心したが、家族からは「二人目の犠牲者が出ないように安心・安全を保全したうえで、活動を続けていただきたい」との言葉をもらったという。

これまでの刻む会の道のりの長かったこと、民間が主導する運動の厳しさ、更に闘う一人一人の心意気や痛みなど、多くのことを感じた。活動家の一人として、誇り、覚悟、連帯感をいっそう強く持とうと思い至った。

※写真-発見された遺骨をさする遺族