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尹錫悦の戒厳クーデター、9カ月間綿密に準備された陰謀
【2025年3月14日】
尹錫悦(ユン・ソンニョル)の12.3戒厳宣言は突然の事態ではなく、少なくとも9カ月間にわたる組織的かつ体系的に準備された計画だった。経緯を整理した民プラスの記事(2月26日)を紹介する。(一部省略)
2024年3月、三清洞安家で戒厳の礎石
キム・ヨンヒョン、チョ・テヨン、ヨ・イニョンら核心人士と初期に協議
2024年12月3日、尹錫悦とその取り巻きたちは非常戒厳を宣言し、国会を解散し、主要な反対勢力を逮捕しようとの試みを敢行した。
名目は、国会で野党が主導した政府予算の削減と、閣僚に対する弾劾手続きの進行などだった。
しかし、一部で言われるように、「酔っ払ったイノシシにより一朝にして敢行されたもの」ではなかった。少なくとも昨年3月から戒厳は着実に準備されていた。
昨年、第22代総選挙を前にした3月頃、尹錫悦は三清洞安家(安家=安全家屋、保安対策を施した秘密施設)でキム・ヨンヒョン警護処長(当時)、チョ・テヨン国家情報院長、ヨ・イニョン軍防諜司令官らを集め、時局が憂慮されるとして「軍が乗り出すべきではないか」「非常大権を通じ切り抜けるほか方法がない」と戒厳令の布石を敷いた。
当時、楊平高速道路の不正、高級バッグの授受、医療大乱、チェ海兵隊員殉職の捜査もみ消しなど、尹錫悦政権の不祥事が山積し、総選挙での敗北が確実視されていた時期だった。
総選挙での敗北後に本格化した戒厳準備
6月、腹心の将軍を集め軍部を包摂
4月の総選挙で大敗すると、尹錫悦は戒厳準備により拍車をかけた。
5月頃、尹錫悦は三清洞安家でキム・ヨンヒョンらと食事し、「非常大権や非常措置でなければ、国を正常化する方法はないだろう」と戒厳の意志を固め、6月17日、キム・ヨンヒョンは尹錫悦との食事の場で、ヨ・イニョンら4人の将軍と共に「この4人が大統領に忠誠を誓う将軍ら」として、戒厳に着手する意志を明らかにした。
その頃、北の攻撃を誘導し戒厳の口実をつくろうとの試みが並行した。これは戒厳の細部を企画したノ・サンウォン情報司令官の手帳に「NLL(西海北方限界線)で北の攻撃を誘導」との言葉が書かれているところから、後日確認されたものだ。
ノ・サンウォンの手帳、「NLLで北の攻撃を誘導」
大規模砲撃訓練で衝突を誘発
6月4日、尹錫悦は、北との9.19軍事合意を全面的に効力停止したのに続いて、海兵隊に26日からNLL近くの白翎島と延坪島で海上射撃訓練を実施させた。北が敏感に反応してきたNLL上空での砲撃訓練は、9月と11月にかけて1000発近い規模で行われたが、幸いにも北は一貫して対応しなかった。
8月の初めには戒厳は既成事実となる。
龍山の大統領官邸に集まった尹錫悦、キム・ヨンヒョン、ヨ・イニョンは、民主労総と野党政治家らについて、「現在の司法体系下では、この者らに対してどうすることもできない。非常措置権を使用し、この者らに対し措置をしなければならない」という話を交わした。
8月、民主労総および野党政治家「非常措置で除去すべき」協議
キム・ヨンヒョン国防部長官の指名後、戒厳準備に拍車
続いて8月12日、尹錫悦は戒厳をより着実に準備しようと、当時の警護処長であったキム・ヨンヒョンを国防部長官に指名した。これは彼が退役陸軍中将であり、自分と同じ冲岩高校卒業生のキム・ヨンヒョンをより信用していたことが背景にある。
その過程で、野党が戒厳徒党謀議の疑惑を提起すると、大統領室は「戒厳令準備説は根拠のない怪談」だとする声明を発表したりもした。結局、キム・ヨンヒョンは9月6日、国防部長官に任命された。
10月、防諜司を通じた対北無人機挑発
11月、戒厳文書作成および兵員配置計画
キム・ヨンヒョンは防諜司令部を通じ、10月3日から3回にわたり北に無人機を送り、平壌上空を侵犯し、対北ビラを散布した。絶えず北の武力対応を誘発し、戒厳の名分を築こうとしたものであった。
その後、ミョン・テギュンの部下であったカン・ヘギョン氏が暴露したキム・ゴニ-ミョン・テギュンの選挙候補公認不正が10月にかけて波乱を起こすと、次第に窮地に追い込まれた尹錫悦は、キム・ヨンヒョンに戒厳の準備状況を確認させた。
11月24日に大統領官邸を訪問したキム・ヨンヒョンと会った尹錫悦は「ほんとうに国はこれでよいのか」とし、「正さなければならない。将来の世代にきちんとした国をつくってあげるためには、特段の対策(戒厳令)が必要だろう」と急き立てた。
そこでキム・ヨンヒョンは、パク・クネ政権時代に軍機務司令部(現防諜司令部)が企画した戒厳文書とパク・チョンヒが射殺された10.26事態当時の布告令を参考にし、戒厳宣言、国民向け談話、布告令を作成し始めた。
11月30日、国防部長官公邸を訪問したヨ・イニョンに会ったキム・ヨンヒョンは、「遅かれ早かれ大統領が戒厳をすると決定されるだろう」とし、「国会を戒厳軍が統制し、戒厳司が選管委と世論調査機関などの不正選挙と世論操作の証拠を明らかにすれば、国民も賛成するようになる」と防諜司令部に戒厳準備を指示した。
同日、キム・ヨンヒョンとヨ・イニョンは大統領官邸へ移動し、尹錫悦と対話したが、ここで尹錫悦は「戒厳令を下してこそ、この難局を解決できる」とし、まもなく戒厳令を発令するとの事実を周知させる。
12月1日、尹錫悦が直接、兵力規模および配置計画を確認
12月2日、戒厳宣言文・談話文・布告令を最終承認
翌日の12月1日、尹錫悦はキム・ヨンヒョンと会い、「今、非常戒厳を発令すれば、どのように兵力を動員できるのか」と尋ね、「首都圏にいる部隊から2〜3万人程度の兵員を動員しなければならないが、少数だけ出動するとすれば、特戦司令部と首都防衛司令部で3000~5000人程度が可能」と報告を受けた。
これに対し尹錫悦は、警察力をまず配置し軍は幹部を中心に投入する方法を話しながら、「幹部を中心に投入すれば人員はどれほどになるのか」と尋ね、キム・ヨンヒョンは「首都防衛司令部2個大隊および特戦司令部2個旅団など約1000人未満を動員できる」と報告した。
続けて尹錫悦は「その程度の兵力ならば、国会と選管委に投入すればオーケーだ」とし、「戒厳をするため必要なものは何か」と尋ねた。
キム・ヨンヒョンが「第1に戒厳宣言文が必要で、これを閣議の案件として上げなければならない。第2に大統領の国民向け談話文、第3に布告令が必要だ」と報告すると、尹錫悦はこれらの準備を指示し、キム・ヨンヒョンが事前に作成しておいた戒厳宣言文、談話文、布告令を報告した。
尹錫悦はこれらの検討後、布告令に書かれていた「夜間通行禁止」の項目を削除するなどの補完を指示し、翌日の12月2日、キム・ヨンヒョンが内容を補完し、戒厳宣言文、談話文、布告令を報告すると、検討後、「完了した」として承認した。
政治活動の禁止、メディアの統制、医療従事者の強制復職まで含んだ超法規的布告令
そのようにして尹錫悦は、△国会と地方議会、政党活動と政治結社、集会・示威など一切の政治活動の禁止△偽ニュース、世論操作、虚偽プロパガンダの禁止△すべてのメディア出版に対する戒厳司の統制△スト、サボタージュの禁止△研修医ら医療従事者の本業復帰という前代未聞の布告令と共に国会に戒厳軍を投入するに至った。
市民と野党国会議員の素早い対処で戒厳解除案を通過させたため、尹錫悦の戒厳令は結果的に湖に浮かんだ月の影と化したが、市民が少しでも躊躇していたならば、大韓民国はもはやわたしたちが知る民主共和国ではなかったかもしれない。
原文 http://www.minplusnews.com/news/articleView.html?idxno=15887