最新情報

中央本部

「パンダのおかげで民主化・統一運動に参加することができた金昌五です」

【2021年12月24日】

-映画『私はチョソンサラムです』観客との対話-

韓統連中央本部 事務長 金昌五

<映画上映会の後、それぞれの地域で約1時間にわたって「観客との対話」の時間がもたれた。私と観客との対話の主な内容について報告する>

●司会者:はじめに自己紹介をお願いします。

金昌五(以下「金」):アンニョンハセヨ。上野動物園のパンダのおかげで民主化・統一運動に参加することになった金昌五です(笑い)。日本の大阪から来ました。お会いできてうれしいです。

●司会者:初めて映画を観た時の感想はどうでしたか?

金:私が初めてこの映画を観たのは、昨年の10月、大阪での上映会でした。金哲民監督と初めて会ったのは2016年で、それ以来、何回となくカメラの前で話をしてきましたが、初めて映画を観るときにまず思ったことは、本当に私がこの映画に出ているのか(笑い)、出ているとしてどの程度出ているのか(笑い)、どんなふうに出ているのか、がとても心配でした(笑い)。ところがいざ映画が始まるや否やそんな考えはどこかに飛んでしまい、いつしか映画の世界に没頭していました。

●司会者:映画の中で特に印象的なシーンがありましたか?

金:京都朝鮮初級学校3年生の男の子が在特会と闘うために毎日鉛筆を削っていた話が一番衝撃的でした。私には孫が三人いるのですが、ちょうど一番上の孫が同じ年なのもあってとても胸が痛かったです。そして私が中学生の頃、地下鉄のトイレに「朝鮮帰れ!」という落書きがあって、それを見てとても怖かったのを思い出しました。「朝鮮帰れ!」と言われても韓国語も知らないし、韓国に知っている人は一人もいないし、そんなところに追放されたらどうして生きていけばいいんだろう、と思うととても怖かったんです。でも、私の場合は地下鉄のトイレの落書きでした。今は昼間に学校の前でマイクを握って「朝鮮帰れ!」と叫んでいるわけです。子どもたちを守るためにこれからも一層頑張らなければならないと思いました。

●会場からの質問:18才の時から韓国の歴史や文化を学びだしたということでしたが、苦労されたことはありませんでしたか?

金:大学1年生の時に韓青に参加して、初めて韓国語の勉強を始めました。「アーヤーオーヨー…(※아야어여とハングルの発音練習)」という初歩的発音から学んだのですが、韓国語には日本語にない発音がたくさんあり随分苦労しました。一番難しかったのはリウルパッチム(※ハングルㄹが終音のときの発音)で、韓国語にリウルパッチムがなかったら良かったのにと思いました(爆笑)。

●会場からの質問:今日もつけておられますが、映画の中で黄色いバッジをつけている姿が印象的でした。どういうお気持ちでつけているのでしょうか?

金:金大中政権、盧武鉉政権と民主政権が10年続きましたが、李明博政権、朴槿恵政権の下で独裁政治が復活しました。その独裁政治の最大の被害者がセウォル号事件の被害者と遺家族だと思います。その遺家族の長く困難な闘いがついにキャンドル革命につながりました。セウォル号事件の遺家族の皆さんに対する敬意と連帯して闘うという気持ちを込めて、いつも黄色いリボンのバッジをつけています。

●会場からの質問:日本の厳しい差別社会の中で、朝鮮人であることに誇りを持って生きるというのは大変なことかと思いますが、何がそうさせるのでしょうか?

金:私は「朝鮮人として生まれたことは恥ずかしい」といういわれのない劣等感を抱いて生きていました。それが祖国の歴史や文化を学ぶ中で、劣等感から解放され、誰であれ人間として生まれた限り人間としての尊厳を保障されなければならないと思うようになったのです。人が生きていくうえで自尊心、自尊感情はとても大切なものだと思います。その自尊感情が差別に立ち向かう原動力になっていると思います。

●会場からの質問:映画の中では、「韓国に来たくてたまらなかったのに来られなかった」と言っていましたけれども、いつ、どうして来られるようになったんですか?

金:私は韓国政府にパスポートの発給を拒否されていたために韓国に行くことができませんでしたが、韓国からはたくさんの人が日本に来られました。民主化運動をしている人、労働運動をしている人、平和運動をしている人など多くの人と日本で会いました。そしてその人たちは韓国に帰る前に必ず約束してくれました。「皆さんが韓国に来られるように努力します。次はソウルで会いましょう」。その約束を守るために多くの人が努力してくれた結果、ついにその約束が実現される日が来たのです。2003年9月19日に海外民主人士帰国推進委員会の招待で初めて愛する祖国、大韓民国に来ることができました。今も忘れられませんが、その前日に推進委員会の執行委員長であった林鍾仁(イム・ジョンイン)弁護士から電話がありました。「準備はできた?」「ああ、できたよ。そっちはどう?」「うん、すべて準備できたよ」。そして最後に林弁護士が言った言葉。「明日、ソウルで会いましょう」。その瞬間涙が止まりませんでした。何十年もの間、交わしてきた「次はソウルで会いましょう」という約束が実現する日が来たのです。私が祖国韓国に来ることができるようになったのは、その約束を実現するために努力してくれた多くの皆さんのおかげです。

●会場からの質問:映画を通して在日朝鮮人に対する差別の実態を知ることができました。差別をなくすために何をすればいいのでしょうか?

金:日本でも多くの在日同胞と多くの良心的な日本人が朝鮮学校に対する差別をなくすために頑張っています。しかし、私はその力だけでは日ごとに右傾化していく日本社会の朝鮮人差別をなくすことはできないと思っています。南と北、祖国の力が必要です。すでに2007年の第2回南北首脳会談で合意された10・4宣言の第8項目で「南と北は、たがいに力を合わせて海外同胞の権利と利益のために努力する」と明記しています。今、海外同胞の最も切迫した問題は日本における朝鮮学校に対する差別です。10・4宣言の合意に基づいて南北両政府に行動を起こすよう求めていくことが大切だと思います。

●会場からの質問:私たちは韓国にいながら統一問題をそれほど身近に感じられないのですが、在日同胞の皆さんは日本に住んでいながら祖国の問題や統一問題に熱心なのはなぜでしょうか?

金:私は韓青で歴史を学ぶようになって、ある時アボジ(父親)に聞いたことがあります。「歴史の教科書に写真も出ていたけど、アボジも植民地支配が終わった時、街頭に出て解放万歳!って叫んだの?」って。それに対してアボジは「日本が戦争に負けたのが悔しくて泣いた」というんです。それだけじゃなくて、少年特別航空隊に志願したというんです。幸いなことにアボジは色覚障害で不合格になったんですが、もしアボジが色覚障害でなければ神風特攻隊で死んでいたかもわからないんです。そうなっていれば、私はこの世に存在していません。この事実から見ても、在日同胞の運命は祖国の運命と深く結びついています。これを受動的に表現すれば、「祖国の運命が在日同胞の人生を左右する」と表現できますが、能動的に表現すれば「在日同胞の人生が祖国の運命を左右する」と表現できます。私は私たち一人一人の生き方が祖国の運命を左右するのだということを肝に銘じて生きていかなければならないと思っています。

●司会者:最後に一言お願いします。

金:先ほどお話ししましたように、私は2003年に初めて祖国韓国に来ることができました。しかし、李明博政権、朴槿恵政権の時代になって再び韓国に来られなくなりました。それがキャンドル革命の力によって今再びこうして皆さんと貴重な時間を共にすることができるようになりました。この国の民主主義のために懸命に生きてこられた国内同胞の皆さんに心から感謝の気持ちをお伝えしたいと思います。そして最後に、在日同胞に対する深い愛情と、祖国統一に対する情熱で、多くの人々に希望と勇気を与える映画『私はチョソンサラムです』を作ってくれた金哲民監督に、心から敬意と感謝の気持ちを伝えたいと思います。金哲民監督、本当にありがとう。