在日韓国民主統一連合

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◆韓統連の歴史 -30余年にわたる闘いの歴史-

▲権益を守る闘いと民団民主化闘争

韓統連は、1973年に結成された韓国民主回復統一促進国民会議(韓民統)を89年に組織改編して誕生しました。
韓民統は、韓国の独裁政権に反対し民主化と統一を実現するために、在日本大韓民国居留民団(民団)の良心的な民主人士を中心に結成されました。

韓民統に結集した民団民主派グループや在日韓国青年同盟(韓青同)などは、民団内で在日同胞の権益問題に最も熱心にとりくみ闘ってきた人々でした。

60年5月、民団は「第三宣言」を発表して、在日同胞の権益を守ることを最優先し、本国政府の政策に対しては是々非々で望むという「民団組織の自主化」を明らかにしました。
ところが、61年5月、軍事クーデターによって朴正煕独裁政権が登場し、民団に対する不当な干渉が始まりました。
こうして、民団の自主性を守るために民団民主化闘争が始まったのです

▲「外国人学校法案」「出入国管理法案」などを広範な大衆運動で廃案に

68年に民族学校を廃止しようとする「外国人学校法案」が提出されようとした時、韓国政府は「数校しかない韓国系学校に比べて朝鮮学校は約130校もあるので廃止されると朝鮮総連側に打撃が大きい」という「反共実利論」を持ち出して、これを容認しようとしました。こうした動きを厳しく批判し、大規模な反対運動を展開して、この法案を阻止したのです。

また、69年、在日同胞の政治活動を規制し、強制退去による追放政策を強めようとした「出入国管理法案」に反対し、組織をあげた強力な「決死反対闘争」を展開して阻止したのも、こうした人々の力によるものでした。

▲7・4南北共同声明支持の共同大会を開催

72年に歴史的な「7・4南北共同声明」が発表された時、民主派グループはこれをいち早く支持しました。民団と総連の共同大会を東京、神奈川で開催し、韓青同は在日本朝鮮青年同盟(朝青)との共同大会を中央、東京、大阪などで盛大に開催しました。在日同胞社会に統一機運が一気に高まっていきました。
こうした動きを恐れた韓国の独裁政権は、大使館を通じて民団執行部に圧力をかけ、組織から民主派グループを一掃しようとしたのです。

▲韓民統の出帆―民主化と統一が在日同胞解放の道

72年10月、朴大統領による永久独裁をねらった「維新クーデター」が起こりました。在日同胞運動に対する独裁政権の締めつけは、ますます厳しくなってきました。

こうした独裁政権の不当な弾圧に対して、ついに私たちはたちあがりました。

在日同胞の民族的権利と人間としての尊厳、生活を守るためには、そして祖国の統一を実現するためには、在日同胞が団結して独裁政権を退陣させ、民主化を実現しなければならないという結論に到達したのです。
1973年8月、こうして韓民統は結成されました。

▲韓民連の結成―国際的に反独裁運動を展開

1977年、米国やカナダ、欧州などに居住する海外韓国人民主勢力が東京に集まり、民主民族統一韓国人連合(韓民連)が結成されました。

韓民連は社会主義インター(SI)などの国際的な機関に働きかけ、軍事独裁政権に反対する国際世論を喚起しました。また、政治犯の釈放を求めて国連人権委員会に早くから提起するなど、世界的な規模で反独裁民主化闘争と祖国統一運動を展開するようになったのです。

▲韓統連への改編、民主化と統一運動の歴史的成果―汎民連の結成

1989年2月、新しい時代状況に対応して90年代祖国統一を実現するために、韓民統は組織を改編し、在日韓国民主統一連合(韓統連)を発足させました。
その年の4月、文益煥(ムン・イッカン)牧師が北韓を訪問し金日成主席と統一方案について協議し、合意するという画期的なできごとが起こりました。7月には林秀卿(イム・スギョン)さんが韓国の全国大学生代表者協議会(全大協)を代表してピョンヤン青年学生祝典に参加、板門店を通って韓国に戻るという快挙をなしとげました。

こうした状況の下で、韓国の全国民族民主運動連合(全民連)は「韓半島の平和と統一のための汎民族大会」の開催を北と海外同胞に呼びかけました。
韓統連はこれに積極的に応え、韓民連を中心とする海外韓国同胞団体に広く呼びかけて汎民族大会を推進したのです。

国内外の闘いによって、90年6月、予備会談に参加するために3名の韓統連代表が海外代表と共にソウルに堂々と入り、韓国の民主勢力と共に汎民族大会の開催について合意しました。

こうして8月15日、板門店で汎民族大会が盛大に開催されました。
この成果にもとづいて11月、ベルリンで南北海外の代表が集まり、祖国統一汎民族連合(汎民連)が発足したのです。
汎民連こそは、長い間の国内外統一運動がつくりだした貴重な成果であり、民族大団結の象徴なのです。

韓統連 30年の歩み

反独裁民主化運動の先駆け 結成後に金大中氏救出運動へ

在日韓国民主統一連合(韓統連)の前身は、一九七三年八月に結成された韓国民主回復統一促進国民会議(韓民統)である。韓民統の結成は在日民主人士と金大中氏との合意によるものだが、組織基盤は民団民主化闘争にさかのぼる。

民団御用化を進めてきた朴正煕政権は、一九七一年に「録音事件」をでっち上げて民主人士に対する弾圧を強化した。そして韓国中央情報部(KCIA)と反動的な民団執行部は民団内の民主的本部を直轄し、韓青組織などの認定を取り消し、中央や地方の民主人士、青年学生らに対して除名や停権処分を乱発した。民団内民主勢力はこのような弾圧に屈せず、「民族統一協議会」を結成して統一運動を進めた。

一人永久独裁をもくろんだ朴正煕は、維新クーデターを行った。そのときちょうど日本に滞在していた金大中氏は朴正煕政権に反対する声明を発表し、在日同胞らを基盤に反対運動を展開すると決意した。金大中氏と志を同じくした在日民主勢力は、韓民統の結成に合意した。

韓民統の結成を準備している最中の八月八日、金大中氏がKCIAによって拉(ら)致された。在日民主勢力は金大中氏の生命の危機を直感して「金大中先生救出対策委員会」を結成し、救出運動に全力を尽くした。

在日民主勢力は金大中氏との合意のとおり、八月十三日に韓民統を結成し、十五日に宣布大会を行った。そして初代議長に金大中氏を推戴し、民団中央本部団長を八期つとめ、第七代、第八代新民党国会議員を歴任した金載華氏が議長代行に就任した。

韓民統の発足によって、在日同胞は民団内の極限的、分散的な運動を止揚し、明確な目的意識をもった民主愛国力量として反独裁民主化運動を展開するようになった。在日同胞運動の画期的な転換であり、発展であった。

また歴史的にみれば、「十月維新」後に維新体制に正面から反対する合法的組織として誕生し、抑圧された韓国民衆の反維新民主化運動の開始を内外に宣言した最初の組織である。韓民統結成は韓国民衆の反独裁民主化闘争に新しい章を開いた意義深いものであった。

韓民統の反独裁民主化運動は、金大中氏救出運動から始まった。この運動は、毎月のように在日同胞独自の集会とデモ、日本政府への申し入れ、日本の市民団体との救出集会など、考えうるすべての方法を駆使して展開し、金大中氏の生命を救った。

また全斗煥軍部勢力が「光州民衆ほう起」を背後操縦したとして金大中氏らを内乱陰謀罪で拘束した後は、翌年一月二十三日の第三審死刑判決までの約八か月間、死にものぐるいで「第二次」救出運動を行った。

韓民統の反独裁民主化闘争は、その年の十月二日にソウル大生らの反維新独裁闘争を呼び起こすとともに、「百万人署名請願運動」支持、「民主救国宣言」支持と「百万人署名運動」の展開、「民主救国憲章」支持と「署名推進本部」の結成など、国内闘争を全面支持・賛同し連携して展開した。そして、大統領緊急措置などによる弾圧に対しては強力な反対運動を進めた。

また「人民革命党事件」などで拘束された民主人士の釈放と、百人を超えた在日同胞政治犯救援運動を大々的に展開し、在日同胞政治犯については一人の死刑執行も許すことなく全員の釈放、帰日をかち取った。

韓民統は、労働者の権利保障を求めて焼身自殺した全泰一氏の生涯と、彼のオモニ・李小仙氏の闘争を記録した評伝を日本で出版するとともに、映像化して各地で上映運動を進め、韓日労働者連帯の新しい歴史をつくった。

朴正煕暗殺後に軍部の実権を握り、戒厳令全国拡大(五・一七クーデター)で政権を強奪した全斗煥一派は、民主化を要求する光州市民に空挺(てい)部隊を投入して大虐殺した。韓民統はこの蛮行をいち早く暴露・糾弾し、「韓国民主化支援緊急世界大会」を開いて国際世論を喚起した。

韓民統は、全斗煥一派が米国の支援のもとに光州市民大虐殺を行ったことに対して、自主・平和・民族大団結による統一と反米自主化を強く主張した。また韓日会談以降の韓日癒着を具体例を挙げながら批判した。

米国が対北戦争策動を強化しながらチーム・スピリット軍事演習を毎年繰り返したことに反対して反戦・反核・平和運動を行うとともに、朴正煕軍事政権反対と金大中氏救出を求めて社会主義インター(SI)との連携を強化するなど国際的な連帯活動を行った。そして、これら一連の活動は日本の良心的な人士や市民団体、労働組合との韓日連帯のもとで展開され、日本の世論が韓国問題に目を向ける大きな運動に発展させた。

韓民統の活動は海外同胞を鼓舞し、一九七七年八月に東京で海外同胞運動では初の「海外韓国人民主運動代表者会議」をもち、「民主民族統一海外韓国人連合」を結成して統一的な運動を進めるなど、内外の運動を大きく前進させた。 韓民統は一九八○年三月、「ソウルの春」を迎えるなかで、それまで議長に推戴していた金大中氏に代わって金載華氏を議長に迎えた。

関連資料を見る⇒連載 金大中氏救出運動と韓統連<全14回>

1983年 ~ 1993年

この期間は、内外情勢の大きな変化とともに、反独裁民主化闘争と反外勢民族自主化闘争、祖国統一運動が一大発展して、民衆の運動に希望と展望が大きく開けた時期であった。

このなかで、韓国民主回復統一促進国民会議(韓民統)は二度の重要な組織発展をみた。一つは八三年に結成十周年を迎えて「第二宣言」を採択したことであり、もう一つは金大中氏と合意して結成した組織を八九年に在日同胞の組織へと改編したことである。 韓民統は八三年、朴正煕独裁政権とのし烈な闘いと、新たに光州市民を大虐殺して登場した全斗煥軍部集団との十年間の活動を総括した。韓民統は第十二回中央委員会で、米国の支配と干渉を排除しないかぎり、真の民主化も南北統一もありえないとの観点から、新たな五大綱領―?外国勢力の支配と干渉の排除、民族自主権の回復?ファッショ独裁の打倒、民主連合政府の樹立?分断固定化に反対、外勢の干渉なく(連邦制による)自主的平和統一の実現?反戦反核運動の推進、朝鮮半島の非核地帯化?在日同胞の民族的権益の擁護を採択し、反外勢民族自主を救国運動の基本路線に定立した。

反外勢民族自主を課題の第一においたことで、「第二宣言」は後に韓国民衆運動の理念になる「自主・民主・統一」をいち早く取り入れたことを意味した。

韓民統はまた、八九年の第十五回拡大中央委員会で韓民統結成後の十六年間の活動と業績を誇りと自負心で高く総括し、韓民統を発展させて在日韓国民主統一連合(韓統連)に改編した。そして新たに「韓統連宣言」と「韓統連綱領」を採択した。

組織の発展的改編は、何よりも本国で民族民主運動勢力が飛躍的に成長し、祖国統一運動がこれまでになく高まった反面、反統一勢力の永久分断策動もまた非常に危険な段階で進められ、国際情勢の新たな変化に主導的な対応が必要になったことにこたえたもので、在日民族民主勢力として自己の位相を明確にし、自主・民主・統一の新たな地平を切り開いていく必要性があった。 このようなことから、韓統連は?外勢に反対し、民族の自主権をかち取る?軍部独裁を清算し、真の民主化に向けて活動する?自主的平和統一を実現する?反戦反核運動を推進し、朝鮮半島を非核地帯化する?在日同胞の民族的権利を擁護する?国際連帯運動を強化する――の六大綱領を発表した。

そして新しい議長に郭東儀氏を推戴した。

全斗煥は八四年九月に訪日し、中曽根首相との首脳会談で安保経済援助を要請するなど、売国外交を展開した。これに対して、在日民主勢力がハンストを行うなど内外の民族民主勢力は一大反対闘争を展開し、また韓日連帯闘争が高まった。反外勢闘争は全斗煥・レーガンによる韓米共同声明の糾弾闘争、ブッシュ元大統領の訪韓反対闘争へと発展した。

八六年に入ると、本国の民族民主勢力は直選制改憲を求めて「民主制改憲推進一千万人署名運動」を開始した。追いつめられた全斗煥独裁政権は八七年一月、ソウル大生の朴鍾哲君を拷問で殺害した。この殺人事件は全国民の怒りを呼び起こし、全斗煥体制を決定的に追いつめる「六月民主抗争」へと発展した。これに驚いた盧泰愚は、直選制改憲を受け入れる「六・二九宣言」を発表し、民衆の激しい闘争を必至に回避した。

この期間の主要な課題に、反戦平和運動がある。とくにチーム・スピリット韓米合同軍事演習反対運動は十年間を通して緊張した闘いだった。チーム・スピリットは八三年には十九万人、八四年からは二十万人規模に増強し、原子力空母やパトリオット・ミサイルを投入するなど、毎年韓国全域で演習を繰り返し、軍事緊張を高めた。これに対して、韓民統は単独の集会やデモ、韓日連帯集会などで強く反対した。

韓米日の軍事的連携が強まるなか、日本は歴史教科書のわい曲など植民地支配の美化、軍事大国化への準備を進めたが、韓民統は民族自主の闘いとしてそのつど厳しく批判した。 韓統連が組織改編を迎えるなかで、もっとも鼓舞的で誇り高い活動は九○年から始まった「祖国の平和と統一のための汎民族大会」の開催に貢献したことだ。

韓統連は、盧泰愚軍部政権のもとで国内統一勢力が南・北・海外の三者協議に参加できない状況で、海外同胞とともに南北をつなぐ懸け橋の役割を立派に担い、第一回汎民族大会を成功させた。その後、汎民族大会は毎年開かれ、民衆主導の統一運動へと大きく発展した。

統一機運が高まるとともに、南北の当局者による会談も進み、九一年末に「南北韓の和解と不可侵および交流協力に関する合意書」と「朝鮮半島の非核化に関する共同宣言」を生み出した。

八七年の「六月民主抗争」は民主化闘争を大きく前進させた。しかし年末の大統領選挙で、民主陣営の分裂によって盧泰愚政権を生み出して民主化を五年間も遅延させたことは、反独裁民主化闘争で大きな痛手だったといえよう。

1993年― 2003年

韓統連結成二十年から三十年までの十年間は、米国による朝鮮半島での戦争策動と南北首脳会談で発表された六・一五共同宣言履行という、戦争危機と平和統一が激しくぶつかった期間だった。

九三年に就任した金泳三大統領は、翌年七月にピョンヤンで金日成主席と南北首脳会談を行うと電撃合意した。しかし、会談二週間前に金主席が急逝すると、自ら弔意を表すどころか、統一運動団体の弔意行事を「容共」として徹底的に封鎖し、南北の対立をあおった。

これに対して、九八年に就任した金大中大統領は二〇〇〇年六月、ピョンヤンを訪問して金正日国防委員長と歴史的な南北首脳会談を行い、六・一五南北共同宣言を発表した。両首脳は六・一五共同宣言で、統一はわが民族同士で自主的に解決することをあきらかにするなど、自主的平和統一への基本精神を示した。

この精神に沿って、南北は現在まで十一回の南北閣僚級会談を開き、離散家族の再会や経済協力の推進、そして京義線と東海線の鉄道と道路を連結させて軍事境界線に「統一への陸路」を切り開いた。

これは、南・北・海外の七千万同胞が民間主導で推進した汎民族大会の統一運動で得た成果だ。韓統連はピョンヤンなどで開かれた汎民族大会に毎回代表団を派遣して大会を盛り上げた。汎民族大会は、六・一五共同宣言の発表後は民族統一大会として六・一五や八・一五にソウルとピョンヤンで交互に開かれるまでに発展している。

一方、統一問題で忘れることができないのは、現代グループの鄭周永氏が牛一千頭を連れて板門店を越えて訪北し、民間の経済協力を始めたことである。この事業が金剛山観光への道を開き、さらに開城工業団地の着工へと進展している。この事業を引き継いだ鄭夢憲氏は先日亡くなったが、民間経済協力は一時も停滞させてはならない。

この期間で、非常に重要な情勢のひとつに朝米関係がある。九四年に米国は北朝鮮圧迫政策を強化し、「第二次朝鮮戦争も辞さず」と開戦一時間前まで突き進んで、好戦性の本性を全世界に見せつけた。

朝米はこの年、ジュネーブ基本合意を導きだし、?二○○三年までに二百万キロワットの軽水炉発電所を建設する?その間、毎年五十万トンの重油を供給する?米は北朝鮮に対して核兵器を使用せず、威嚇しない、などを約束した。朝米関係は関係正常化へ向けて大きく前進した。 しかし、次に登場したブッシュ政権は北朝鮮を「悪の枢軸」と呼ぶなど緊張を激化させ、核の先制攻撃までほのめかして緊張を極度に高め、基本合意を反故(ほご)にした。今月末に、朝米は核問題をめぐって韓国と中国、ロシア、日本が参加する六者協議を行うが、朝米関係の根本解決は不可侵条約を結ぶことである。

この期間、民族自主を求める韓国民衆は朝鮮戦争時の住民虐殺、米軍射爆場の被害、米軍犯罪など、あらゆる犯罪を暴露する闘いを展開し、運動を大きく前進させた。

また駐韓米軍の女子中学生れき殺事件に対して、裁判権の委譲、ブッシュの公開謝罪、韓米駐屯軍地位協定(SOFA)の全面改正、戦時作戦指揮権の委譲などを求めて全国民的な反米・キャンドルデモを展開した。韓統連など海外民主勢力も反米闘争に合勢した。

統一運動の進展に比べて民主化は大きく停滞し、一時後退したといわざるをえない。韓統連は金泳三政権の改革政策を支持したが、同政権は出発早々「新公安統治」を強化し、民族民主勢力を「左傾」とば倒、南側の八・一五統一大会で韓総連学生五千七百人を連行するなど野獣的大弾圧を加え、韓総連と汎民連南側本部を「利敵団体」と規定するなど、独裁政治を強行した。

これに対して、韓統連は「韓総連弾圧糾弾!海外韓国人大会」を組織するなど反独裁闘争を強化し、金泳三政権の退陣を求める闘争を展開した。

金大中政権は「疑問死真相究明委員会」設置など民主化を前進させたが、公約の国家保安法撤廃については手を下さず、全斗煥、盧泰愚を釈放して民主化に逆行する面もあった。盧武鉉大統領の大幅な民主化実現に強く期待したい。 韓統連は九七年三月に「民族教育の発展のために」を発表し、在日同胞子女の民族教育の強化を主張した。

この期間は、韓統連組織が大きく拡大強化された時期でもある。兵庫をはじめ京都、広島、東京本部を次々と結成し、神奈川、東海、大阪を含めて七本部体制になった。また九四年から在日同胞の具体的な統一運動として始めた「統一マダン」は十回目を数え、五地域から現在は七地域の開催へと拡大している。

九五年に発生した阪神淡路大地震では、兵庫本部に現地対策委員会を設置し、組織挙げての救援運動を展開した。また同年の南北の水害では、汎民連日本地域本部の呼びかけで南北の同胞に義援金や救援物資を送り、九七年からは北朝鮮への「コメ支援運動」を数年にわたって展開、一千トンを超える食糧や救援物資を送った。

三十年にわたる韓統連の自主・民主・統一運動は韓国の民主化と祖国統一、民族自主において輝かしい業績を残した。とくに南北首脳会談と六・一五共同宣言の発表は、韓統連の金大中大統領救出運動の誇り高い成果の産物といえる。だが韓統連への「反国家団体」のくびきが残って名誉が回復されず、本国への自由往来が達成できていないのは残念なことだ。その意味で、最近国内の民族民主勢力と良心的なマスコミが海外民主勢力の名誉回復と帰国保障のために誠意をもって取り組んでいるのは、非常に鼓舞的なことである。(おわり)


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